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東京地方裁判所 平成元年(ヨ)1172号 決定

主文

一  債権者らが債務者のため共同の保証として金一〇〇〇万円の保証を立てることを条件として、債務者は、別紙書籍目録記載の書籍中、二六頁一段目一一行目「リバーサイドの女」との小見出し部分、二六頁三段目二行目「校長はC先生に、」で始まる文から二七頁一段目八行目「妹の所在はまったく掴めなかった。」で終わる文までの部分及び二七頁一段目一六行目「こんな話もある。」の文から二七頁二段目一四行目「その後も囁かれている。」で終わる文までの部分を、出版、販売又は頒布してはならない。

二  債権者らのその余の申請を却下する。

三  申請費用はこれを五分し、その一を債務者の負担とし、その余を債権者らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

債務者は、別紙書籍目録記載の書籍を出版、販売又は頒布してはならない。

二  申請の趣旨に対する答弁

本件各申請を却下する。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者

債権者学校法人仙台育英学園(以下「債権者学園」という。)は、教育基本法及び学校教育法に従い私立学校を設立することを目的とし、宮城県仙台市内において仙台育英学園高等学校を設置、運営する学校法人である。債権者加藤昭(以下「債権者加藤」という。)は、債権者学園の理事長であり、かつ、仙台育英学園高等学校の校長である。債務者は、書籍の発行等を主たる目的とする株式会社である。

2  債務者による債権者らの信用及び名誉の毀損行為

(一) 債務者は、「虚妄の学園」と題する別紙書籍目録記載の書籍(以下「本件書籍」という。)を平成元年三月二八日に出版、頒布、販売することを予定している。

(二) 本件書籍は、昭和四〇年四月七日から昭和六一年三月三一日までの間仙台育英学園高等学校の教諭として債権者学園に勤務していた室井助(本名は甲野一郎。以下「甲野」という。)の著作に係るA五判六四頁のブックレットで、第一章・「異様な世界」、第二章・「マンモス校の闇の経済」、第三章・「育英に君臨する男の肖像」、第四章・「不正入試と学園の暗部」、第五章・「土地・株・国債をめぐる疑惑」、第六章・「告発」の六章からなり、債務者が本件書籍の発行に先立ち仙台市内で頒布した宣伝用チラシの宣伝文句にもあるごとく、「校長兼理事長・加藤昭、校長室長兼常務理事・加藤健志の犯罪」、「土地転がしと私学助成金の流用」、「修学旅行の費用にリベートを上乗せ」、「校長夫人の保険会社に生徒を強制加入」、「不正入試と幽霊学生の進級・卒業」、「金で解決される暴力事件」、「教師の経歴詐欺と国外退去の外人講師」、「スカウトされた疑惑の野球部監督」、「政治家・役人との結託」等、債権者学園の高等学校運営上の、又は債権者加藤個人の高等学校運営上若しくは私生活上の事項に関するスキャンダルをセンセーショナルに著述するものである。

(三) 本件書籍は、仙台育英学園高等学校の元教師が債権者らのスキャンダルの内部告発を行うという形をとっているが、そこにあげられた事実は、すべて事実無根又はある事実を途方もなく歪めた虚構のものである。本件書籍は、債務者及び甲野がかかる虚構の事実につきセンセーショナルな記述をして、読者にあたかもその事実があるかのように印象づけ、債権者らの名誉及び信用を著しく毀損し、債権者ら及び関係者らを窮地に陥らせようとするものであって、極めて高度の違法性を有するものである。

3  差止めの必要性

債務者が右のような本件書籍の頒布、販売を行うことを放置すると、教育機関ないし教育者として公共的活動を行う債権者らの名誉及び信用が著しく毀損され、その公共的活動にも重大な支障を生じ、回復し難い損害を生ずる。

4  よって、債権者らは、債務者に対し、人格権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に基づき、申請の趣旨記載の裁判を求める。

二  申請の理由に対する認否及び債務者の主張

1  申請の理由1の事実は、認める。

2  同2(一)の事実は、認める。

同2(二)の事実中、本件書籍が債権者らが主張する者の著作に係るA5判六四頁のブックレットであること、債務者が債権者ら主張の宣伝文句を含んだ宣伝用チラシを頒布したこと及び本件書籍中に右宣伝文句に関連する記述があることは認めるが、その余は、否認する。右宣伝文句には本件書籍の実際の著述内容及び著述態様と必ずしもそぐわない面があり、実際の著述内容及び著述態様は、何らセンセーショナルなものではない。

同2(三)の事実は、否認する。

3  同3の事実は、知らない。

4  (債務者の主張)

本件書籍の著述内容は真実であり、債務者は、債務者及び甲野が独自の調査によって収集した、事実を裏付ける客観的資料に基づいて、極めて強度の公共性を有する立場にある債権者らの長年にわたる腐敗を公にすることにより、一般国民の判断を仰ぎ、債権者らの今後の改善を求めようとするものである。したがって、債務者の本件書籍の出版、販売、頒布は、違法な名誉毀損行為ではない。

理由

一  申請の理由1及び2(一)の事実は当事者間に争いがなく、本件疎明資料及び審尋の結果によれば、以下の事実が疎明され、この疎明を左右するに足りる証拠はない。

1  本件書籍は、昭和四〇年四月七日から昭和六一年三月三一日までの間仙台育英学園高等学校の教諭として債権者学園に勤務していた甲野の著作に係るA五判六四頁のブックレットで、第一章・「異様な世界」、第二章・「マンモス校の闇の経済」、第三章・「育英に君臨する男の肖像」、第四章・「不正入試と学園の暗部」、第五章・「土地・株・国債をめぐる疑惑」、第六章・「告発」の六章から構成されており(右事実は、当事者間に争いがない。)、債務者はこれを初版五万部にて発行する予定である。

2  本件書籍の著述内容は多岐にわたるが、おおむね、申請の理由2(二)記載の本件書籍の宣伝用チラシの宣伝文句に掲げられている事項あるいはこれに類した事項等に関し、具体的な事実を摘示するとともに、それについての甲野の意見、評価等を記述するという形式で著述されており、これを通覧すると、債権者学園においては生徒の教育がなおざりにされて債権者学園及び債権者加藤の私益を図

ろうとする傾向にあること並びに債権者加藤は教育者として不適格な人物であることを窺わせる著述となっている。

二  ところで、出版物の頒布等の事前差止めは、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものであるが、高等学校教育の有する公共教育としての性格及び社会的使命(教育基本法六条、学校教育法一条、私立学校法一条等参照)にかんがみると、高等学校を設置運営する学校法人又はその経営者の高等学校の教育活動、経営及びこれに関連する公的な行為に関する評価、批判等の表現行為は、それが私立の高等学校であってもなお、公共の利害に関する事項として憲法上十分に保護すべき社会的価値を含むものであるというべきであるから、その事前差止めについては慎重に判断すべきであって、事前差止めのためには、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあることを要するものと解するのが相当である。

しかしながら、右のような私立高校の経営者については、公共的性格が高いとはいえ、なおその社会的性格は、公職選挙の候補者等の極めて公共性の高い人物の場合とは異なるというべきであり、したがって、私立高校の経営者の行為であっても、公共的性格の希薄なプライバシーにわたる事項については、高等学校の教育活動、経営及びこれに関連する公的な行為の場とは異なり、憲法上保護された私人の権利である人格権について考慮する必要性がより高いものということができる。したがって、その表現内容の真実性と公益目的について仮処分の当事者双方を審尋した結果、表現内容が真実でないこと又は専ら公益を図る目的のものでないことの疎明があった場合であって、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあることの疎明がなされた場合には、なおこれの事前差止めをなしうるものと解することができる。そして、このように解しても、プライバシーにわたる表現を厳しく限定し、かつ、その表現の真実性等についての審理が謙抑的かつ慎重に行われる場合には、表現行為に対する事前抑制について厳しくこれを限定する憲法二一条の趣旨に反するものということはできないと思われる。

三  そこで本件についてみるに、一で疎明された事実によれば、本件書籍の記述の大部分は、高等学校を設置、運営する債権者学園及びその理事長である債権者加藤の高等学校の教育活動、経営及びこれに関する公的な行為という公共的事項に関するものであるということができるから、その事前差止めについては右のとおり慎重に判断すべき類型に属するものであるということができる。

しかしながら、本件疎明資料により認められる、本件書籍の二六頁三段目二行目「校長はC先生に、」から二七頁一段目八行目「妹の所在はまったく掴めなかった。」までの部分及びこれに関連する二六頁一段目一一行目の「リバーサイドプラザの女」との小見出し、並びに二七頁一段目一六行目「こんな話もある。」から同二段目一四行目「その後も囁かれている。」までの部分は、債権者らの学校経営に関連する行為という性格がまったくないではないものの、いずれかといえば、債権者加藤の個人的な私生活における女性関係の行状についてのプライバシーにわたる記述であるものといわざるをえない。そして、この部分については、債務者において、その情報の出所、裏付調査等について口頭による一応の立証がなされたものの、なお右部分に示された事実についての客観的な裏付資料の提出はなく、これを債権者らの行った立証と併せ考慮すると、結局、現段階においては、右表現内容について真実でないことあるいはこれに乏しいことについて一応の疎明があったものとみるほかはない。そして、この部分の表現内容及び既に認定した本件書籍の出版予定部数に照らすと、右著述部分が本件書籍中に含まれて発行されるときは、債権者らは重大かつ著しく回復困難な損害を被るものであるといわざるをえない。

次に、その余の記載部分についてみると、本件疎明資料及び審尋の結果によると、表現内容が真実でなく、又は、それが専ら公益を図る目的によるものではないことが明白であることの疎明があったものということはできない。

四  以上のとおりであるから、債権者らの申請は、本件書籍のうち、主文記載の部分の出版、販売又は頒布の禁止を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の申請は理由がなく、保証をもって疎明に代えることも相当でないから却下することとし、申請費用について民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 金井康雄 裁判官 瀬木比呂志 裁判官 杉原 麗)

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